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路上における実戦について少し話します。


回避しないと確実にやられてしまう時には、対処しました。


その度に、自分の強さよりも『極真て凄いな。城南て凄いな』という畏敬・畏怖の念を空手に対して、よく持ちました。

そして今では、そんな幼い高校生の身体中に技術を繋ぎ、伝承させた大山倍達という人の偉大さを、改めて感じます。


喧嘩というのは、殴り合いから殺し合いまで様々です。
オランダやブラジルの喧嘩では、殴り合いが強いのなんて何の役にもたたないようですね(ピストルでズドンです)

殴り合いと殺し合いの専門家では全く非なるものですから、何も語らずが正解です。

回避できるなら絶対やめましょう。回避できないなら躊躇は絶対禁物ですね。
せっかく磨いた技が鈍ります。


さて、以後私が大学に入った頃には、周知の通り城南支部の先輩達が次々と極真会館から離れ、私自身も道場から遠ざかってしまいました。

遠ざかっている間は、色々な先輩達と総合格闘技の稽古に明け暮れていました。
私自身は極真会館には良い思い出ばかりで、素晴らしい時間だったと思っています。

現在でも松井館長をはじめ、数見先輩、岩崎先輩、八巻先生、そして廣重先生、ともに感謝をしており、良い関係を保ち続けていられることを、嬉しく思っています。


私の一番大切なものは家族や友人ですが、私の闘争心とは極真魂です。

今の極真の選手達も素晴らしいですが、私のいう極真魂は創成期から90年代までの独特な極真魂です。

パワーと部位鍛練、受けごとさらう威力。

まさに一擲乾坤、額に焼けた鉄を当てたような覇気。
超人的で壮絶な、あの極真魂です。

いい時代でしたね。

次は現在の格闘技業界の話です。

続く・・・
2009.10.20 Tue l 未分類 l top ▲
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しかし全国大会は、それぞれの県のチャンピオンが黒帯で出場するものです。

私も東京都のチャンピオンに違いないのですが、『黄色帯でも出場できるだろうか』と考えたのです。

そして廣重先生に聞いてみました。


私『師範、全国大会に出場してみたいのですが宜しいでしょうか』

廣重先生『それは構わないが、お前の突きは弱すぎるよ』


そう言われたのです(笑)

廣重先生は帯の色なんかよりも、私の突きの弱さを気にしていたわけです。

そして出場できた全国大会の結果は、準優勝でした。
準決勝までは全て一本勝ちでしたが、決勝戦は無惨に負けました。

重量級の優勝は、今も極真で活躍中の田中健太郎選手でした。

悔しくて一人泣いていた私に、廣重先生はこう言いました。

『内容は悪くなかった。でもお前は泣くほどの努力なんかしてない。帰って又稽古だよ』

周囲の先輩達は励ましてくれる中、この廣重先生の言葉に私は我に帰り、自分を恥ずかしく思いました。

その後も様々な大会で優勝したり負けたりしましたが、そこは省きます。

さて、次は路上における実戦について少し話します。

続く・・・
2009.10.19 Mon l 未分類 l top ▲
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かくして私の黒帯研究会通いは始まったわけですが、実際地獄でした(笑)

当時は、城南支部から極真の世界王者が緑先生・八巻先生と輩出され、数見先輩が必死にブラジル・ロシア勢と闘っている頃で、城南支部の勢いが凄まじかった時期です。

腹筋を1000回やり終えると廣重先生が現れ、稽古開始です。
廣重先生は、とても理知的で物静かな温かい方でした。
武道家の雰囲気がゆらゆらと漂っていて、眼鏡の奥の両目が異様に迫力がありましたね。

指導法は、精神論も技術論も理路整然としていて、全く矛盾のない『なるほど!』を連発したくなるものでした。


稽古では嘔吐や失禁、悶絶、泣き声、骨折は日常の世界でした(ちなみに当時城南の選手は骨折しても当然稽古はやります、試合にも出ました)

私を除く参加者は、当然自分の道場を持ち、たくさんの弟子を指導している有名選手逹です。

稽古は、一回3、4時間くらいでした。
テレビや雑誌で見たチャンピオン達が目の前に立ち、当たり前のように私に突きや蹴りをめり込ませてきます。

チャンピオン達にとって地獄である稽古が、オレンジで高校1年生の私にとって楽しいはずはありません。
私は心の中で叫びました。

『あんた逹は黒帯で、極真の中でも超猛者じゃないのよ!ぼくちんはオレンジ帯で16才の子猫ちゃんなんだ!手加減プリーズ!ひひーん。』

毎回実験台でしたね・・・。

しかし、道場の前で稽古前に、ある一流選手に会った時のことです。
その先輩は、こう言いました。
『隼英、俺達はこれから4時間は確実にのたうち回るんだな・・・大地震でもこねーかな』

そう真顔で呟くんです(笑)
この一流選手の弱音は私を勇気づけ、その先輩を尊敬すらしました。

なぜなら、稽古ではその先輩は恐怖心など持たない、鬼の化身のように振る舞っていたからです。

『誰もが根っこの部分では、恐怖心と闘っているんだな。強くなる為の作業は、強くあることとは違うんだな』と知りました。

そして、稽古後に一時間かけ自宅へ足を引きずって帰る道は、充実感でいっぱいでした。
当時世界中が研究していた城南支部の組手を、とてつもない勢いで叩き込まれている。
そんな16才は俺だけだ、という誇らしさもありました。


そんな私も黄色帯になり、通常の道場稽古では一般の大人の道場生を圧倒できるようになっていました。

そして、高校生の全国大会があるということを聞きました。
『出たいな。優勝するだろうな』という思いを持ち、廣重先生に許可をもらいに行きました。

続く・・・
2009.10.17 Sat l 未分類 l top ▲
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八巻先生の指導のもと、毎日がむしゃらに稽古に励みました。

八巻先生の指導法は、理論的でもありましたが、常に試合より実戦を想定しているものでした。

私がテレビなどで聞いた大山総裁の口癖や教えを、八巻先生も毎日口酸っぱく叫んでいて(口調も同じ)、まるで大山総裁から習っているようでした。

『隼英ね〜、そこであきらめたら駄目なんだよ〜。毎日毎日きつい稽古して、薄い膜を一枚一枚重ねていく!それが強くなるということだよ〜分かったぁ?』


そして入門から半年後のオレンジ帯の時に、高校生の東京都大会に参加しました。

その会場には、城南支部の支部長であった廣重先生はもとより、八巻先生、数見先輩、岩崎先輩、高久先輩、志田先輩や他にも世界クラス・日本クラスの先輩達がたくさんおられました。


私は自信を持っていましたが、入門初日の茶帯の人との組手が頭にはあり、『やれるだけやってみよう』という少しだけ謙虚な気持になっていました。

しかし組手の内容は一本勝ちのみを狙った、受けなどしない内容だったと思います(笑)

私は勝ち上がりました。
そのトーナメントの決勝戦は黒帯の高校3年生でしたが、一回戦から決勝まで全て一本勝ちで優勝をすることができました。

会場中の大きな拍手が、とても嬉しかったです。

そして大会の表彰後に私ではなく、私の母親が廣重先生に呼ばれたのです。


そこでの会話は次のようでした。

廣重先生『隼英君はいいものを持っています。蒲田道場の黒帯研究会に毎回来させてください。学校の勉強は、少し難しくなるかもしれません』

母親『お任せします。宜しくお願い致します』

なんという母親でしょうか。
当時の城南支部の黒帯研究会という稽古は、モンスター達の巣です。
そこに、曲がりなりにも進学校に通わせている息子をお任せしてはダメです(笑)
オレンジ帯の高校1年生が、世界チャンピオン達の稽古に参加して一体何をするんでしょうか。

しかし私の内心は、とても喜びと希望に満ちていました。
名高い指導者である廣重先生に目をつけてもらえた喜びと、大山総裁の直弟子である廣重先生からの指導が受けられることへのワクワクが大きかったです。

そして・・・

続く・・・
2009.10.16 Fri l 未分類 l top ▲
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椅子に座っている八巻先生は、どこかよそよそしく、稽古場に並んでいる色とりどりの帯の道場生の視線は明らかに私に向いていて、闘気を漂わせていました。
道場内には少年部など居ませんでした。
閉め切った道場独特の、頭がボワ〜っとする格闘の匂いが立ち込めています。


ニヤニヤしているのは私の兄だけで、『じゃあ1人ずつ隼英と立ち合ってやって』と言いました。

私の違和感は納得に変わり、全身に鳥肌がたち、内心で『手加減しなくていいのか!チャンピオンの八巻先生の前で、俺の強さを証明してやる!』という抑えがたくブルブル奮える歓びがありました。

青帯・黄色帯・緑帯までは全て私の一方的な展開でノックアウトさせました。
周りは私の狂気じみた動きに引いていたように思います。

そんな中、涼しい顔の茶帯の少年が前に立ちました。

聞けば、私の一つ下の中学2年生で全国中学生大会で優勝しているとのこと。

しかし荒ぶる鼻息で火のようになっていた私に、そんなことは全く関係ありません。
組手が始まると、私の攻撃は一切彼に当たりませんでした。

そして明らかに手加減した彼の突きや蹴りが、バチバチと私の鼻先に入りました。
私は目眩のなかで驚き、戸惑い、怖くなりました。『あぁ、このままではやられるんだな』と思いました。
闘っている最中には、残念そうな彼の溜め息すら聞こえたような気がしました。

恐怖と怒りに狂った私は血まみれの形相で彼を掴み、投げて踏みつけました。
そこで八巻先生の『やめ!』の声があったように思います。

すると八巻先生は、苦笑しながら立ち上がり『獣じゃないんだから。でも稽古したら隼英、お前はチャンピオンになるよ』そう言いました。
そんなところから私の極真空手における修行が始まりました。
続く・・・
2009.10.15 Thu l 未分類 l top ▲